アスベストと健康被害
ひらの亀戸ひまわり診療所所長  平野 敏夫


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【項目】

誤診で見つけた早期肺がん
喘息になった解体屋さん
知らせていないアスベストの害
アスベストによる健康障害
アスベストの発がん性
がんの潜伏期間
低濃度でも安全ではない


誤診で見つけた早期肺がん

 私は東京の亀戸という下町で、診療所をやっている開業医です。もう20年、ずっと労働災害とか職業病とかに関心を持っていろいろやってきたので、ふだんは労働組合と付き合いが多くて、こういうアスベストですとか有機溶剤ですとか、仕事で扱う有害物に関する患者さんが多かったり、労働組合から相談を受けたりしてきました。
 私が一番最初にアスベストの患者さんに会ったのは今から15年くらい前です。その頃、小さな病院に内科医として勤務していました。たまたま60歳くらいの男の方が、咳や痰が止まらないということで来られまして、レントゲン写真を撮ると、右の上の方に影があったんですね。ちょうど腫粒状と言いますか、がんみたいな影でして、私は医者になって2、3年でまだ駆け出しだったものですから、「こりゃ、がんだ。たいへんだ」ってことで、たまたま癌研付属病院にいた先輩に相談して、検査してくださいって回したんですね。1週間くらいして、癌研の先生がもう1度レントゲンを撮ったら、影が消えているんです。要するに肺炎だったんですね。肺炎が治りかけのところにがんみたいな影があったのを、新米の医者が誤診をしたわけです。でもせっかく後輩の平野が紹介をしてくれたんだから、まあ、もうちょっと検査してみようじゃないかと、先輩が気管支鏡という、肺に管を入れて直接覗く検査をやってくれました。そしたら、早期の肺がんがあった。たまたまその早期の肺がんに細菌が入って肺炎を起こしていた。それが治りかかっているときにヘンな影があって、私が誤診をした。万事は怪我の功名といいますか、それですぐ手術をして助かった。
 ところで、その方のレントゲン写真を見ますと、肺全体が汚れているんですね。
「おたく、お仕事なんですか?」
っていう話をすると、
「ガス切断」
と言うんです。スクラップ屋さんなんですね。いろんなものをガスで切断して、スクラップして、どこかに売りに行くという墨田区の小さな工場で、30年くらい働いているんですね。そのガス切断するときに、煙が出て、ヒュームといいますけど、埃をいっぱい吸うわけ。それで肺が汚れていたんですね。ということは、仕事からきている肺がんじゃないかということで、労災の申請をすることになりました。そのためには、ただの粉塵じゃしようがなくて、発がん性のあるものを吸っている証拠がなくちゃいけない。その前に、私は溶接工がアスベストを使うという話を聞いていたもんで、その方に、
「アスベストを使っていませんか?」
って話をしたんです。
「いや、アスベストなんて、聞いたことも見たこともない。石綿なんて知らない」
って言うんですね。じゃあって、社長さんにきいたら、
「いや、ウチはそんなものは使ったことはない」
と言う。これは困ったなあって思って、とりあえず、切除した肺を専門家に分析してもらったわけです。すると、その肺の中からいっぱいアスベストが出てくるんです。大量のアスベストが出てくるんです。これは完全にアスベストによる肺がんだということになって、もう一回、
「何か使ってませんか、使ってませんか」
と徹底的に患者さんを追及したわけです。患者さんを追及しちゃいけないんですけど。そしたら、ぽろっと
「そういえば、ある日、川崎の石油コンビナートのパイプを切断したことがある」
そのときに、パイプの回りに断熱材でアスベストが巻いてあったわけです。アスベストというのは燃えないし、溶けないし、どうしようもないやつですからね。ガスバーナーでも切れない。ですから、トンカチで叩いて崩して、手で剥がして、その後、鉄管を切断した。そのとき、いっぱい吸ったわけです。
「そういえば、ガスレンジもあって、その中にも断熱材が入っていて、ガス切断できないから、手で壊していた」
という話になって、じゃあ、それだよということで、アスベストによる肺がんだということで、労災の申請をして、労働災害になって補償された。それが最初の私の患者さん。

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喘息になった解体屋さん

 2人目の患者さんは建物の解体屋さんです。この方は気管支喘息。当時、気管支喘息は公害病で、公害健康被害補償法で補償されることになっていたんですね。その方は別な病院に通っておられたんですが、苦しくて通えないので、近くの私の病院に来られたんです。で、かなり重症の喘息。レントゲン写真を撮ってみた。肺は割合ときれいだった。ところが、肺の回りの肺を包んでいる胸膜、肋膜ともいいますが、これが厚くなっている所見がレントゲンで出てきたんです。これはアスベストを吸った証拠なんです。胸膜肥厚斑(写真1)。それがあったもんですから、
「アスベストを吸ったことはありませんか?」ときいたら
「解体作業をやっていると、建物の断熱材の中からキラキラキラキラするものがいっぱいあった」
「そりゃあ、アスベストだよ」
ということになった。
 その方はアスベストから肺がやられて、気管支喘息みたいになって、夜はヒュウヒュウゼイゼイ苦しい。ちょっと歩いても、息が切れて歩けなくなる。これも労災申請をして労災になった。でも残念ながら3年か4年になって、まだ57、8だったと思いますが、呼吸不全、呼吸ができなくなって亡くなりました。そういう方が2人目。

写真1
胸膜肥厚斑
左右に白く見えるところが患部
肺を包んでいる薄い膜がアスベストの刺激で厚くなる

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知らせていないアスベストの害

 それが15年前と13年前。おふたりとも、アスベストなんか聞いたことも見たこともない。アスベストが肺がんになるだとか、有害だとか、危険だとか全く知らされていない。本来ならば、経営者がちゃんと知らせて、労働安全教育というので、こういう危険があって、こういう有害物質があるんだよとちゃんと知らせて仕事をさせなきゃいけないんですけれども、全く知らされていない。どこで使っているかも知らないで、20年、30年吸い込んで、肺がんになり、気管支喘息になり、しかも全く補償もされないできていた。そういう方がいっぱいいる。日本でアスベストの害というのはほんと知らせていないというのが現状。
 10年くらい前、アスベストのブームがありました。覚えておられますか? 学校の天井に吹きつけアスベストがありまして、それが教室でボロボロ落ちてる。子どもたちが危険だ、先生たちが危険だって、東京では大騒ぎになりまして、その除去作業をどうするかとか、いろいろなことがあちこちで問題になった。ところがいつの間にか下火になってしまった。
 また今度、阪神大震災で問題になりましたが、労働現場では、建材にアスベストが入っているので、大工さんとかそういう方たちも非常に意識を持って取り組み始めています。

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アスベストによる健康障害

 アスベスト繊維は0.1ミクロンから10ミクロンくらいで、小さいものになると、風邪のヴィールスと同じくらいの大きさです。当然、全身を廻る可能性がある。
 そのようにアスベストは非常に小さい物ですから、肺に吸い込むと、容易に肺の奥の方まで入っていきます。肺の組織は木の枝のように気管支に枝分かれしており、肺の全体に行き渡って、末端の肺胞に行き着きます。
 肺胞には、細かい小さい血管がいっぱい集まっています。気管から吸い込まれた酸素は、気管支を通って肺胞まできて、肺胞から血管を通って全身に廻ります。酸素は人間にはなくてはならないもので、酸素を燃やしてエネルギーになるわけです。酸素が燃えて炭素ガスになって、これがまた血管を通って全身を廻って、肺胞まできて、肺胞から気管支を通って、外に出している。いわゆる呼吸の作用をしています。
 その肺胞にアスベストがたまると、ここでいろいろ悪さをする。
 一番悪いのは炎症を起こす。正常な肺胞の組織、あるいは気管支の組織が破壊される。そうすると、酸素を入れ替える呼吸の働きができなくなる。そうすると、呼吸が苦しくなる、咳や痰が出る、喘息みたいにヒュウヒュウなる、というふうになるのが石綿肺(写真2)。

写真2
石綿肺
アスベストが肺に入って、いろいろな組織を破壊するため、呼吸が苦しくなる、咳や痰が出るなどの症状が出る

 あるいは肺胞に入ったアスベストが動くことがあります。動いていって肺を包んでいる胸膜の方まで達して、胸膜を刺激する。そうすると、胸膜炎になったり、胸水が溜まったり、胸膜肥厚斑になったり、胸膜中皮腫という非常に恐いがんになったりします。

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アスベストの発がん性

 ある物質が発がん性があるかどうかを調べるには、3つ方法があります。
 1つは、その物質を取り込む環境にいる人たちと全然関係ない人たちを比較する。何年かずっと追いかけていって、その物質を取り込んだ人たちに発生するがんの数と、その物質を取り込んでいない人たちに発生するがんの数を比較する。これを疫学調査といいます。
 2つ目は、その物質を動物に注入したり、組織に植え込んだりして、がんができるかどうか調べる動物実験。
 3つ目は、大腸菌やバクテリアにその物質を作用させて、突然変異を起こすかどうか実験する。

 その第1歩の疫学調査が、アメリカでは非常によく行われています。とくに肺がんについては、いろいろな労働者を対象に調査されています。
 アスベスト繊維を扱う工場では、肺がんの発生率は3.1倍。あるいはカナダのセメントにアスベストを混ぜる工場では、8.5倍の発がん率。
 日本では大阪の泉南地区にアスベストの紡績工場がいっぱいあるんですけれども、そこの労働者を追いかけた調査された先生がおります。結果は6.8倍の肺がん発生率。
 この他にも、アメリカでは断熱材を扱う労働者1万何千人を追跡調査して肺がん発生率がものすごく多いという報告もあります。日本では疫学調査が少ないですね。

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がんの潜伏期間

 石綿肺は比較的高い濃度の場合、吸い出してからだいだい5年くらいから、がんの発生が見られます。最大で20年、30年の潜伏期間です。
 肺がんは出てくるのが遅くなります。だいたい15年くらい。長くて40年。
 悪性中皮腫は非常に恐ろしい病気ですが、比較的低い曝露量で起こります。潜伏期間が20年から、30年、40年。肺がんよりむしろ低い曝露量の場合、中皮腫が出てきます。
 アスベストのことを「静かな時限爆弾」と言った学者がいましたが、吸ってから何年か経って出てくるので、非常に厄介です。

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低濃度でも安全ではない

 アスベストによる病気で問題なのは、このくらいは吸ってもいいというのがないことです。低い濃度でもある程度時間が経つと、中皮腫になってしまう。
 私の友人で横須賀で開業医をしている人がいるんですが、ある日、肺がんの女性が来られた。彼もアスベストに関心があるので、職歴をいろいろきいてみるんですが、アスベストを吸ったというのは、いくらきいても出てこない。何回か診察してきいているうちに、
「そういえば、おとうちゃんが造船所に勤めていた」
と。造船所というのは、エンジンルームの断熱のために、いっぱいアスベストを使うんですね。若い頃、弁当を届けに行って、その現場に何回か入った。その時にアスベストを吸った。
 そういう話はアメリカでもあって、おとうちゃんがアスベストを扱う仕事場から作業着を着たまま帰って、その作業着をおかあちゃんとか娘さんが洗濯して、中皮腫になったという事例が報告されています。低濃度でも安心はできないというのが1点。
 それから潜伏期間が非常に長いということ。吸ってから10年、20年、40年経ってから出てくる。まさに静かな時限爆弾です。吸えば吸うほど、発がん率が高くなるということで、今までの調査は働いている人が対象でしたが、最近では、低い濃度を吸っている人の被害を推測するようになってきました。

 アメリカの環境保護庁(EPA)は次のようなリスク・アセスメントをしています。
 0.01本/cm3のアスベストの環境に、週40時間いたとする。日本の働く人のアスベストの許容濃度は2本/cm3、アメリカが0.2本/cm3で、それよりずっと低い0.01本/cm3というのは、普通の環境にありうる数値なんですが、そこに週40時間ずついるとして、曝露開始年齢と曝露年数を変数として、10万人あたりどれだけ肺がんで死ぬかという数値を出しているんですね。
 たとえば、男の0歳児が1年間いたとしたら、10万人のうち2人、肺がんの死者が出る。100万人では20人。
 あるいは0歳児が5年間この環境におりますと、一挙に上がりまして、10万人あたり10人、肺がんで死ぬ。中皮腫ですと、0歳の赤ちゃんが1年間で10万人あたり8人がなるだろうという予測をしています。
 若い人ほど、先が長いから、罹患率が高くなるというのは当然なんですが、低濃度でもけっして安心できないというのは要注意です。
 アメリカでは、悪性中皮腫の症例5%は家族からの、おとうちゃんが働いて家に持ち込む低濃度曝露で、あるいは、工場のそばに住んでいるとか、大気中のアスベスト汚染で中皮腫になるのは20%あるだろうといわれています。そういった意味で、環境中へのアスベストの飛散は非常に深刻な問題だろうと思います。

 アスベストは非常に強い発がん物質で、肺がん、中皮腫、あるいは石綿肺、非常に重大な健康障害を起こします。もしかしたらそのほかの喉頭がん、大腸がんも関係あるかもしれない。今のところ、このくらいなら大丈夫だと濃度は設定できないでしょう。低濃度でも、長時間吸い込むことによって、健康障害が起きる恐れは十分あります。もうひとつは、潜伏期間が長いということで、なかなかそう簡単に安心できません。
 ただ吸わなきゃ、大丈夫なんですから、吸わなくてもすむように、これから対策を練っていかなければならないと思います。

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(C) May 1995, Toshio Hirano